昨日、アメリアの定例トライアルの過去問題で誤訳をしてしまったことをきっかけに、いつになったら翻訳の勉強が終わるんだろうというプレッシャーから翻訳者になるのを止めるかもしれないという投稿をしてしまい。皆さまには心配をかけてすいません。翻訳者を諦めたあと私が就職可能な仕事は休みの少ない単純作業の障害者雇用だけです。休みが少ないと趣味をやる時間すらまともに取れないかもしれません。家族などが居ればそうも言ってられないので、直ぐに仕事を探すでしょうが、私は人間と関わるのが苦手なタイプで友達と呼べるような存在もネットにしか存在したことがありません。そして何の目標もなくお金を稼いでいくためだけに働く私はいったい何を楽しみにして生きていけばいいんでしょうか。翻訳者になるという目標すら失ってしまうと、私に残っているのは何の希望もない、ただ生きていくためだけに、人に発達障害で迷惑をかけながら障害者雇用という立場で契約社員や準社員として働くことのどこに自分の価値を見出していけるでしょうか。そう思いつめて昨日は死のうというところまで考えて、いつものフェンスの低い高い橋のある駅への切符を買って電車に乗るところまで至ってしまいました。少しお酒を飲んで混んだ電車の中で席で休みながら、でも死ぬのは怖くて、必死で頭の中では何とか死なずに済む方法を考えていました。いまの私に翻訳しか生きている希望がないならば、あと何年かかろうが、傷病手当が切れたあとはアルバイトをしながらでも翻訳者になればいいじゃないか。少なくとも死ぬよりは、最後の人生の望みとして自分で選んだ希望の道を自ら断つ必要はないんじゃないか、そう思えてきたのでした。年齢のせいでどんどん記憶力は落ちているし、仕事をすればミスが多く周りに合わせる事が難しく、時間もかかって全く役に立たない人間に私は生まれてきてしまいました。今は発達障害という診断がついていますが、発達障害という言葉が普及する前はただ自分を責めるだけの人生を35年間ちかくおくってきました。そんな私は自分の全てを否定的に考えてしまいがちですが、少なくとも翻訳者という目標を持って勉強している間だけは自分を肯定できます。それだけが今の私の救いです。どれだけ年老いた父親に迷惑をかけることになっても、この希望を捨てたあと私が仕事の中で何かの希望を見出せる可能性は少ないです。なざなら障害者雇用として、他の人より簡単な事を優先的にやらされる毎日が待っているからです。それならば、せめて傷病手当をもらえる期間に英語を徹底的に勉強して、英語のパートタイム講師のような仕事を探したほうが少しは希望が見出せるでしょう。英語を勉強することは私に残された最後の生きる希望で、これを失ったらまた私は死のうとするかもしれない。そう思うのです。だから今は最後の希望を大事にする事を親に理解してもらうしかありません。
希望がないと人は生きていけない
翻訳者になるという希望だけが私の生きる拠り所となっている現実について、自分の心を整理するために書きました。